アンティークペチコートスカート

100年以上前に製造されたアンティークスカート。

中でもアンティークのペチコートスカートを目にした人は多いのではないでしょうか。

 

ペチコート(Petticoat)とは


主に下着の透けを防止する目的で洋服の下に着用する衣服のことです。
また、上に着用するスカートやワンピースが足にまとわりつかなくなり、足さばきをよくする機能があります。
当時のアンティークペチコートスカートは、上記機能とスカートやドレスのシルエットをきれいに出したり、パニエのように裾を広げたりする役割も果たしていました。
裾に美しいレースや刺繍が施された飾りがついているものが多く、歩くときにちらっと裾の飾りを見せるのも当時のお洒落です。
タックのデザインに見せて当時の所有者に合わせた着丈に直されていたのも特徴です。
素材はコットン製のものが多く、当時のアンティークペチコートは綿、麻、絹、毛などの自然の素材で作られたものが多いです。

スカートという服飾は、もともと男女の衣類に使用されており、19世紀初期以前はドレスやコートなどの腰より下の部分を指す言葉でした。
女性用の衣服がスカートの名で呼ばれるようになるのは、19世紀半ば以降のこと。
西欧で16世紀頃より様々なスタイルに展開した「スカート状ドレス」は、むしろ、ペティコートとも呼ばれていました。

 

年代によってスカートの流行の形が違い、スカートの中に履かれた下着が異なります。

 中でも代表的なパニエクリノリンバッスルについてお話しさせてください。

 

パニエの歴史

現代ではウエディングドレスのスカートを膨らませるための下着であったり、ファッションとして衣服の上に履いてその素材感やパニエならではのシルエットを楽しんだりするのに愛用されています。

パニエが誕生したのは、16世紀に流行したスペイン発祥のベルチュガダン(= ファージンゲール)が起源といわれます。スカートを膨らませるスタイルは一時衰退と復活を遂げ、イギリスからフランスの宮廷に広まりました。
鳥かご(panirに形状が似ていることから、フランスでは「パニエ」と呼ばれるようになりました。

当時はコルセットで上半身を締め付け、パニエでスカートを膨らませることにより上半身の細さを強調するスタイルが流行しました。
当初パニエは木や藤の、後に鯨鬚の円形の枠を何段かに分け、木綿、毛、絹などの布地に縫い込んで作った円錐形のものでした。

華美を競うに従い膨らみを増すようになり、不自由さを軽減する為に前後の膨らみは軽減、一方で左右へと拡大し楕円を連ねた釣鐘形になりました。
重量が増したためパニエは左右に分割され、日常用としては小型のものが着用されるようになりました。(二分割のものはパニエ・ドゥブルと呼ばれました)

 

ヴィクトリア時代の女性の下着について 

ヴィクトリア女王は1837年から1901年の長きにわたって英国を統治。
ヴィクトリア朝の期間は64年間もあります。
その間、女性のスカートのスタイルは様々に変化しています。

1860年代後半、全体がAラインで裾に向かって広がっている形から始まり、後ろの部分が膨らんだシルエットへと変化していきます。
特徴的なのが1880年代半ば、スカートの巨大化。大きく膨らんだシルエットへと移行していきます。
スカートの巨大化の後はスリムなシルエットになっていきます。
1900年代にはほっそりしたシルエットが流行しました。

 

クリノリン(Crinoline)

スカートを膨らませていたのがクリノリンという下着です。
スカートをドーム状に広げるためのもので、パニエと同様のものです。

現代からすると優雅に思いますが問題も。
歩行の妨げ、怪我、クリノリンに暖炉の火がついてしまうこともありました

 

バッスル(Bustle)

もう一つ、おしりの部分をふくらませる役割をするのがバッスルという下着です。木綿のクッションを詰め込んだものや、鯨骨でふくらませるものなど様々なものがありました。

 

今も昔も変わらない乙女心

今の比較的自由なファッションと違い、歴史的な制限のある生活スタイルから、昔の服の特色があります。
しかしどの時代も女性は美しくありたいという思いや、美意識を感じて親近感がわきます。
階級による衣服の違いもありますがどの女性もその中で自分なりのおしゃれを楽しみ、刺繍を凝らしたりレースをあしらったり、生地の柄で楽しんだりと魅力のある工夫が沢山。
中に着られる下着であるペチコートスカートでも、一着を作成するのに沢山の時間が掛けられています。直しながら愛用されるその心意気がまた素晴らしく素敵です。


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